自分の治療記録が研究材料になっただけで患者は怒る

岡口基一東京高裁裁判官が、裁判を紹介したTweetが、原告の感情を害して、東京高裁にクレームが来て、それを理由として、岡口氏は、戒告処分になった。

岡口基一 - Wikipedia

裁判に限らず、ケーススタディをしてみることは、あらゆる分野で行われていて、非常に有益である。

Internetが商用利用される以前、@niftyのフォーラムでこういう発言があった。

私は難病の患者であり、現在は治療のおかげでいくらか軽快している。昔の主治医が論文書いていたので、それを見たら、私のケースが使われていて、大変、腹がたった。こんなことを私に断りもなくやっていいのか。

私はその発言を見て驚いた。患者の権利意識がここまで強いとは思わなかった。

患者が誰だか特定できないように、論文中では氏名は消されているし、プロフィールもあるていど改変されている。第三者が見たら誰だかわからない。しかし、患者本人が見たら、自分の話だとすぐにわかる。

この程度のことで、いちいち患者にお伺いを立てないと、論文に書いてはいけないというのだったら、医学研究はできなくなるだろう。意思確認などしようもないケースが多いのだから。

そもそも、医療は自分の金でやってもらうのではない。社会全体が費用を負担している。自分の情報は、すべて自分の思い通りに管理できると考えるのはおかしい。
裁判記録も治療記録も、誰のものでもない。社会全体の費用によって作られたのだから、社会の共有財産だろう。
その利用において、関係者が感情を害したかどうかは問題ではなくて、公正に利用されたかどうかが問題ではないのか。