医療の分野では、患者の自己決定権が最優先される。
そのように教育される。
しかし、例外がある。
精神病患者における措置入院制度だ。
資産管理については、成年後見制度がある。
どちらも、本人に判断能力がない場合は、自己決定権を剥奪し、周囲が代わって判断することが、本人のためであるという発想なのだ。
障害者や高齢者の自宅療養でも、似たような側面がある。
彼らに「どうしたいか」を尋ねると、ほとんど全員が「自宅で暮らしたい」と言うのだが、その「自宅」とは、99%ぐらいは、ゴミ屋敷か汚部屋なのである。
汚いだけではなくて、冷暖房も給湯も照明も上下水道も劣悪であり、場合によっては電気ガスすら供給されていないことがある。健康に悪いことは明白だ。
簡易宿泊所の方がよほど住みやすいように自分には思われる。
あるいは、老人介護施設の方がマシなのである。
「どんなに汚くて住みにくくても、本人が望んでいるんだからそれでいいのだ」と考えて、放置するのはむしろ無責任だろう。
ここは、パターナリズムが発揮されるべき状況である。本人に判断能力がないのに、彼らの「意思」に任せて、崩れかけた汚部屋に放置しておくのはむしろ虐待である。
私は、劣悪な環境に住んでいる人は、施設に強制収容すべきだと思う。自殺を放置することが許されないように、劣悪な住環境に住み続けることも放置してはいけない。