私は、かつて、「本好きなこども」と言われていた。
確かに、いつでもどこでも本ばかり読んでいた。
しかし、あれは本が好きなわけじゃなかったと思う。
親や学校の都合で、こどもは参加したくない行事やイベントに連れ出されることがある。子どもは交通費を払えないから、移動すら、自分の思い通りにならない。
そんなときに、本の1冊も持っていれば、いくらでも時間が潰せる。周囲も放置しておいてくれる。
現代のこどもは、携帯ゲーム機が大好きだ。好きでやっているこどもは自宅でもやっているだろうが、そうではないことがある。自宅ではやらないのに、外出時にだけ携帯ゲーム機をやっているこどもにとって、携帯ゲーム機は、周囲と関わらないためのディスコミュニケーションツールなんだろう。
私は学校の授業も参加したくなかったので、授業中に読んでいても許される教科書や問題集や資料集を舐めるように読んでいた。あれは時間を潰すための行動でしかなかったが、結果的に、学力は向上した。
本を読む人が、伝統的な共同体でしばしば胡散臭く思われ、邪険に取り扱われるのは、身体はここにあるのに本読みの目が「ここではないどこか」を見ていることが共同体のメンバーに感じ取られるからです。
— 読書猿『独学大全』9/29刊(4刷 50000部)、電子書籍10/21配信 (@kurubushi_rm) February 22, 2019