漢字表示への長い道のり

80年代にパソコンが普及しはじめたころ、日本語表示が開発のボトルネックになっていた。

最低でも縦横16ドット、できれば縦横24ドットを必要とする漢字かなまじり文を、モニタ上のドットと一対一対応するVRAMに、直接書き込んで表示すると、初期のパソコンでは、動作速度が遅くて実用にならなかった。

NECPC-9801は、文字コードを書き込むテキストVRAMを採用した。文字コードならば、当時の遅いCPUでも実用的速度で書き換えが可能だった。ビデオ回路が、CPUとは独立に文字コードを読み取り、文字イメージに変換してモニタに表示した。

他のパソコンメーカーも、それぞれ独自のハードウェアで似たようなことをしていた。

どれもMicrosoftのOS MS-DOSを使っていたのだが、日本語表示する仕組みがメーカーごとに違うので、アプリケーションに互換性がなかった。

アスキーが業界統一規格として立ち上げたAXは、

AX - Wikipedia

IBM-PCに専用ハードウェアJEGAを付加して、漢字表示させていた。

性能的にはそんなに悪くはないのだが、価格が高く、かつ、アプリケーション数で、PC-9801に太刀打ちできなかった。

「日本語表示の非互換性」問題は、最終的には、文字処理のソフトウェア化で解決された。DOS/Vは、専用ハードウェアを使わず、ソフトウェアだけで、VRAMに文字イメージを転送したのである。それを可能にしたのは、動作速度の飛躍的な向上だった。

VRAM - Wikipedia

海外製IBM-PCに、DOS/Vを入れるだけで、日本語処理ができるようになったのだから、国内メーカーの割高なパソコンは海外勢に全く勝てなくなり、国内パソコンメーカーは壊滅した。ブランドだけは残っているが、中身は海外製である。