外国人に対して、日本語教育をする人材がいない

外国人材への日本語による日本語教育「イマージョン方式」の限界 | 冷泉彰彦 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 昔から、英文法不要、英語は英語で教えるべき、和訳せずに直読直解、英英辞典だけ与えるべきという俗論がある。

「直読直解方式」は、学習教材が山ほどある日本における贅沢であるが、外国人に日本語を教える場合には、これしか方法がないことがある。

例えば広東語を母語とする生徒に対して、広東語の説明を加えながら日本語を教える日本語教師というのは、非常に少ないわけです。ですから、日本語学校としては、生徒の第一言語母語)が様々である中で、それぞれの母語での説明ができる教員はとても用意できません。ですから、多くの国から来た学生を集めて行う授業は「唯一の共通言語」である日本語ということになります。

 様々な地域からやってくる外国人に対して、彼らの母語を解する日本語教師を配置することは不可能で、直読直解しかありえないわけである。

日本における英語教育で、直読直解ができないことは、長い経験でほぼ実証済みで、我々は、外国人に対する日本語教育でも、同じことを経験しつつある。

日本語教育がいい加減だと、コミュニケーション不全による虐待や差別が起きることも予想されるので、外国人労働力の導入には相当の金と時間がかかる。外国人は安価な労働力にはなりそうもない。