「延命」ではなくて「緩和」

人に特定の言葉遣いを強要して、言語空間を不自由にする例として、こんなことがあった。

末期の老人が自宅で訪問診療を受けていた。

本人は「延命処置を望んでいない」と口では言っているのだが、正確に言えば、「延命させられている」と言われたくないのである。

実態は延命そのものだった。

食事量が低下したので輸液を行い、貧血に対して輸血を行い、呼吸不全に対しては酸素吸入し、発熱にはあらゆる抗菌薬投与を希望した。

ベッドサイドで、私は「これは延命ではなくて緩和です」というような会話を毎回やらねばならなかった。

「延命」は悪いこと、「緩和」は良いことという二元論が、患者の頭に入っていて、訂正できないのだ。