結核死亡数を減らしたのは生活水準だった

東京都健康安全研究センター » 人口動態統計からみた結核の100年(結核 分析 日本):人口動態統計からみた20世紀の結核対策:(東京都健康安全研究センター)

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戦前に日本人の死亡原因のトップ3には常に結核が入っていた。

BCGやストレプトマイシンの導入によって、劇的に死亡数が減ったと思われているが、地域別死亡率や時系列を見ると、そうでもない。BCGやストマイ以前に死亡数が減り始めている。

工場労働で、女性が結核に感染し、数年後に発病して死ぬというパターンが、生活水準向上で消滅した。

 1913年の石原修『女工結核』によると工場労働者80万人のうち女子は50万人,繊維工女の年齢は16-20歳が最も多く,12歳未満の工女も存在した.また病気のために解雇され帰郷後に死亡したものについて見ると,死亡者1,000人について703人と7割強が結核あるいはその疑いのあるものである 6) .

 中部・関西地方で繊維産業が盛んだった点,その繊維産業の労働者は圧倒的に女子であった点,女子労働者の年齢が15-20歳だった点および結核の初期感染学説 5) (戦前の日本で青年に結核が多いのは,青年期に結核の初感染を受け,引き続き発病するものが多いためであるという学説)などを考慮すると,これらの事実の反映として日本女子の結核の特徴が生じていたと考えることができよう.